2015年02月26日

岡山魂 山田方谷から学ぼう

岡山魂 山田方谷から学ぼう
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Learn from Okayama soul Hōkoku Yamada

From 2:00 March 4 afternoon as events Okayama Rotary Club (Furuichi Finance Chairman) is anniversary "Rotary Day", Re in San'yoshinbunsha's bold Hall of Okayama, Kita-ku, Yanagimachi Symposium "Su (revived)
Okayama soul! - Will be held learn from Hōkoku Yamada "the (San'yoshinbunsha sponsored).
Hōkoku Yamada (1805-77 years) was carried out the fiscal reform of Matsuyama clan Bicchu in Edo (Takahashi), and played an important role in the shogunate government started Taiseihokan. In Progress, Toru Mr. Nojima of Hotani sixth generation lineal descendants (Urban Renaissance Agency director, front and Treasury Kyushu Finance Director) is "to change the Japan from Okayama Yamada how valley" and entitled to keynote. Okazaki Akira Okayama Chamber of Commerce and Industry (Kai cheer Liaison Committee representative to spread Hotani-san), Kojima Mitsunobu Ryobi Holdings chairman (Okayama Domain Gundai Tsuda EiTadashi honor chairman), Bank of China Miyanaga Masato president is Takahashi City founded land performing a panel discussion is joined.
The club to become formed 81 anniversary, held tries to "base" going to create a new Okayama to become a regional and integrated. "Now that the post-war '70 has passed, what you learn in Hotani's," How about Okayama soul "I want to explore whether going to uplift the" and serves as the coordinator Furuichi chairman. Free Join (on application). Inquiry, application Okayama Chamber of Commerce and Industry (086 232 2266, Regional Development Division = weekdays 9:00 to 17:00).
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岡山魂 山田方谷から学ぼう

 岡山ロータリークラブ(古市大蔵会長)は創立記念「ロータリーデイ」の行事として3月4日午後2時から、岡山市北区柳町の山陽新聞社さん太ホールでシンポジウム「蘇(よみがえ)れ
 岡山魂!-山田方谷から学ぶ」(山陽新聞社後援)を開催する。
 山田方谷(1805~77年)は幕末に備中松山藩(高梁市)の財政改革を行い、大政奉還をはじめ幕政でも重要な役割を担った。シンポでは、方谷6代目直系子孫の野島透さん(独立行政法人都市再生機構理事、前・財務省九州財務局長)が「山田方谷で岡山から日本を変える」と題して基調講演。岡崎彬岡山商工会議所会頭(方谷さんを広める会応援連絡会代表)、小嶋光信両備ホールディングス会長(岡山藩郡代津田永忠顕彰会長)、高梁市が創業地である中国銀行の宮長雅人頭取が加わってパネルディスカッションを行う。
 結成81周年になる同クラブが、地域と一体となって新しい岡山を創造していく“基点”にしようと開催。「戦後70年が経過した今、方谷さんに何を学び、どう『岡山魂』を高揚させていくかを探りたい」とコーディネーターを務める古市会長。参加無料(要申し込み)。問い合わせ、申し込みは岡山商工会議所(086 232 2266、地域振興課=平日午前9時~午後5時)。
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山田 方谷(やまだ ほうこく 1805~1877)

江戸時代末期から明治時代初期の漢学者、備中松山藩士。
 藩主板倉勝静(いたくら かつきよ 1823~1889)のもとで藩政改革を断行し、大きな成功をおさめ、勝静が幕府の老中となると、その政治顧問として幕政にも関与した。
 また、多くの弟子を教え、備中松山藩を支えた多くの人々を育て、河井継之助(かわい つぎのすけ 1827~1868)のように他藩から来遊する者も多かった。
 方谷自身は明治維新を境に教育に専念し、世に出ることを拒んだが、その思想、手法、人材は次世代の大きな財産として残された。


●人格  至誠側怛

 陽明学に「至誠側怛」という言葉がある。真心と、いたみ悲しむ心といった意味であり、方谷も良くこの言葉に従い、誠を尽くし、慈しみの心をもって人と接した。産業振興による収入の増加や、飢餓をはじめとする非常時に備えた貯倉(穀物などを蓄えるための倉)を設けるなどの改革は、人民の撫育を考えたものであった。そのため、地震で江戸藩邸が崩れた際に、方谷に世話になった商人たちが駆け付け、いろいろと世話をしたというエピソードからも分かるとおり、人々から慕われた。組織のトップに必要とされる要素として、人格を備えた人物であれば自然と人がついてくる良い例といえ、自己研鑽を怠らずに自らの格を高めることは、時代を問わず重要であろう。

※陽明学

 中国の王陽明の唱えた学問。朱子学とならぶ儒学の一派。
 陽明学の思想を構成する三つの柱として、方谷は「至誠側怛」「致良知」「格物」の3項目をあげている。そして「至誠側怛」を中心にすえる。「致良知」と「格物」がこれを支えて、「至誠側怛」が完全なものになるというのが、その基本的な考えである。この「至誠側怛」を中心とするのが、方谷の陽明学観の特色である。

 陽明学派 中江藤樹、熊沢蕃山、佐藤一斎、大塩中斎、佐久間象山、高井鴻山

     『方谷先生の生涯』

1、幼年時代  1805年 高梁市中井町西方で生まれる。
   三,四才の頃からよく大文字を書く
   五才になると新見藩儒丸川松隠について学ぶ
2、学問修行の時代 1825~1837年
   藩校有終館に入学を許される 21歳
   京都に上り 寺島白鹿について学ぶ 23才

   江戸へ下り 佐藤一斎塾で学ぶ 30才
3、有終館学頭の時代 1837~1849年
   邸を御前丁に賜り、60石を給せられる。 この時32才
   翌年(1838) 藩学教授の傍ら家塾「牛麓舎」を開く
   1842年 桑名藩から勝静公を養子として迎える

4、藩政参加の時代 1849~1868年
   勝職公没し、勝静公藩主となり
   方谷先生を召して、元締役兼吟味役に任じる 45才
   藩政改革に着手(1850) 46才
   ・上下節約・負債整理・産業振興・紙幣刷新・士民撫育・文武奨励を重点とする。

   長瀬に住宅を建てて移る(1859) 55才 河井継之助来る。
   勝静公再び奏者番兼寺社奉行となり、方谷はその顧問となる 57才

   1868年「明治元年」戊辰の役起こる 64才

5、晩年 1869~1877年
   長瀬塾を開く 明治二年 65才
   明治三年十月 小阪部に移り「小阪部塾」を開く
   明治六年 閑谷学校に赴き督学にあたる 69才
   1877年 「明治十年六月二十六日」小阪部で没す。 73才
       高梁市中井町西方向山の墓地に埋葬する。
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posted by 岡山パワーズ(okayama_powers)  at 07:06| Comment(0) | 岡山魂 山田方谷から学ぼう | 更新情報をチェックする
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