2015年01月17日

あの時、岡山も揺れた! 阪神・淡路大震災20年 各地で黙とう 「赤ちゃん生まれたよ」大切な人に報告

あの時、岡山も揺れた! 阪神・淡路大震災20年 各地で黙とう 「赤ちゃん生まれたよ」大切な人に報告
<阪神大震災20年>各地で追悼と防災 宗派・教団超え法要 長泉寺で30人黙とう--北区 /岡山
<阪神大震災20年>竹灯籠にともに祈る 東北でも体験継承を 神戸の東遊園地でつどい /岡山

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<阪神大震災20年>各地で追悼と防災 宗派・教団超え法要 長泉寺で30人黙とう--北区 /岡山


「1.17」は、2つの意味で忘れまい!
阪神・淡路大震災 と 父の誕生日 である。

「believe yourself 」自分を信じろ byマイケル・チャン

(昨年は、少し、残念なこともあったね! でも大丈夫その兆しはある。 「Believe myself!」
・Believe in yourself.
自分を信じろ!(相手に言う場合)

・Believe in myself.
自分を信じる(自分自身を自分が信じていると言いたい場合)

テニスの錦織 圭のチャンコーチは、「Believe myself!」と伝えたいう。

勝てない相手はいない~錦織圭 成長の軌跡~

「believe yourself 」自分を信じろ byマイケル・チャン

テニスの全豪オープンで初優勝をめざす錦織圭。この一年の急成長を支えたのが、コーチのマイケル・チャンだ。二人へのロングインタビューで、錦織の躍進の秘密を探る。

まもなく始まるテニスの全豪オープンで初優勝をめざす錦織圭。この一年で、世界ランキング17位から5位に急成長を遂げた。支えたのが、コーチのマイケル・チャンだ。錦織同様、現役時代、周囲のトップ選手に比べ体格が劣っていたチャンが、錦織にたたき込んだのは、「前で戦う」攻撃的なテニス。そして、どんな相手にもひるまない「王者のメンタリティー」だった。二人へのロングインタビューで、錦織の躍進の秘密を探る。)

感動した! 「勝てない相手はいない~錦織圭 成長の軌跡~(NHK)」
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阪神・淡路大震災20年 各地で黙とう(NHK)

6434人が亡くなった阪神・淡路大震災から17日で20年になり、被災した地域では地震が起きた午前5時46分に合わせて犠牲者に黙とうをささげました。

このうち神戸市中央区の「東遊園地」では、17日の日付を表す「1.17」の形に並べられた竹の灯籠に火がともされました。
震災から20年のことしは例年より多くの遺族や市民が会場を訪れ、地震が起きた午前5時46分に全員で黙とうをささげて犠牲になった人たちを追悼しました。
このあと敷地内にある慰霊碑の前で、神戸市主催の追悼の集いが開かれ、震災で自宅が倒壊し33歳だった母親を亡くした神戸市東灘区の銘田奈津紀さん(26)が遺族を代表して、「震災や母のことを話題にすると家族やその場にいる人が悲しみ、苦しむため、話すことを避けてきましたが、母のことを忘れてはいません。私が今、生きているのは母のおかげです。大好きだった母と髪の毛を乾かしあい、癖毛だった母の髪を何度も、といた思い出から私は美容師になりました。私はこれからも母の分も強く生きていきます」と追悼のことばを述べました。
続いて、震災の頃に生まれた新成人を代表して神戸市灘区の小川和昭さん(20)が「私たちに震災当時の記憶はありませんが神戸の復興と共に成長してきたことは事実です。人と人とのつながりや絆の大切さを次の世代に伝えていきます」と述べました。
17日は各地で追悼の行事が行われ、犠牲者を悼むとともに改めてこの20年の歩みを見つめ、震災の教訓を語り継ぐ1日になります。
神戸市によりますと、追悼の集いが開かれている神戸市中央区の「東遊園地」には午前7時までにこれまでで最も多いおよそ1万4000人が訪れたということです。

「この日が来るのは悲しい」
震災で、当時45歳だった義理の弟を亡くした神戸市東灘区の72歳の男性は「20年という期間はあっという間でした。真面目でいい弟だったので、毎年、この日が来るのは本当に悲しいです」と涙を流しながら話していました。

「弟にありがとうと伝えに来た」
震災で当時、大学4年生だった弟を亡くした歌手の女性は、「震災で亡くなった弟の存在があったから、ここまで生きてこられました。きょうは弟にありがとうと伝えに来ました」と涙を流しながら話していました。

「20年間、母を忘れたことはない」
神戸市灘区で被災し母親を亡くしたという56歳と54歳の姉妹は、「20年間、母を忘れたことはありません。これまでつらくてあまり話すことはありませんでしたが、母のためにも震災のことを次の世代に語り伝えていきたいです」と話していました。

「人の支えで生きてこれた」
61歳だった夫を亡くした神戸市灘区の78歳の女性は「いろいろな人の支えがあって、震災後のつらい時期を乗り越え、きょうまで生きてこれました。きょうは、夫にその報告をしに来ました。私にとっては、長いようで短いような20年でした」と話していました。

「息子亡くした気持ち変わらず」
神戸市東灘区に住んでいた20歳の大学生の息子を亡くした香川県小豆島町の67歳の女性は、「毎年ここに来ていますが、20年がたっても息子を亡くした当時の気持ちは変わりません。私は神戸から離れた所に住んでいるので、こういう気持ちを分かち合う機会がなかなかありませんが、ここに来ると多くの人が何らかの思いを抱えていて、私は1人じゃないと実感できます」と話していました。

「新しい家族増えたと報告」
兵庫県芦屋市の自宅で当時4歳の弟を亡くした32歳の男性は、「去年3月に結婚したので、『新しい家族が増えたよ』と弟に報告しました。今でも弟が家族の中心にいて、一緒に暮らしているような気持ちでいます」と話していました。
また男性の妻は、「夫の弟がどんな大人に育っていたのか、一度でいいから会ってみたかったです」と話していました。

「命あるかぎり娘の供養を」
神戸市長田区で当時30歳の長女を亡くした75歳の男性は、長女の遺影を抱えて集いの会場を訪れ、「毎年1月17日は、娘に会える日だと思っています。きょうも長田区で供養をしてから、亡くなられたほかの方にも祈りをささげようと思いここに来ました。20年がたっても、娘を亡くした気持ちは変わることはなく、命あるかぎり娘の供養をしていきたい」と話していました。

「思い出すと居たたまれない」
神戸市須磨区に住んでいためいを亡くし、みずからも被災した82歳の女性は、「毎年、この日が来ると、当時の出来事をきのうのことのように思い出します。めいは娘と年が近かったので、思い出すと居たたまれない気持ちになります」と話していました。

「父と友人失いとてもつらい」
震災で兵庫県淡路市に住んでいた父親を亡くし、自身も神戸市東灘区で被災した際のけがの後遺症で車いす生活を送っているという神戸市須磨区の67歳の男性は、「震災で仕事をなくし、父親とたくさんの友人を失ったことが、今でもとてもつらい思い出です。震災がなければあと10年は元気に働けていたのにと思うと悔しいです。震災後は引っ越したことで知り合いもいなくなり、とても寂しい日々を送っていました。ことしは震災前に住んでいた場所の近くに引っ越すことにしていて、再び慣れ親しんだ場所で暮らせることが僅かな希望になっています」と話していました。

震災から20年の課題
20年前の17日、神戸市を中心に震度7の激しい揺れが襲い、6434人が死亡、およそ25万棟の住宅が全半壊しました。
その後、およそ16兆円を投じて復興事業が進められ、この20年で被災した地域の人口や経済指標はおおむね震災前の水準まで回復しました。
また、震災はその後の日本の防災や災害対応の在り方にも大きな影響を与え、全国で建物の耐震化が進められているほか、被災者を支える災害ボランティアの重要性も広く認識されるようになりました。
しかし、残された課題もあります。
住まいを失った人たちが暮らす復興住宅では急速に高齢化が進んで2人に1人が65歳以上となり、誰にもみとられずに亡くなる「孤独死」は去年1年間で40件に上っています。
また、震災を知らない世代も増え続け、神戸市では震災後に生まれたり市内に転入してきた人が全体の44%に上り、地域で助け合って生き抜いた経験や日頃の備えの大切さといった教訓をいかに次の世代に伝えていくかが課題になっています。
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阪神大震災20年 「赤ちゃん生まれたよ」大切な人に報告
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Great Hanshin Earthquake '20 "I was born baby" important person to the report

Mother and lost a sister Kurashiki, Okayama Prefecture of nurses in the Great Hanshin Earthquake, Takeshi Chiyoda (24) the 17th morning, visited the Higashiyuen land. In addition to the two people on the nameplate of the prayer "memorial and reconstruction of monuments", Kuroda Yuko, who will protect on behalf of the mother immediately after the disaster = also the name of death = 73-year-old last September a new time Mareta. "I child was born. I was relieved because I work hard to fine." Were reported in three important that it has opened a new door of life.

Mother of Tomoko = time (32) = and lived in four siblings, Hyogo Prefecture, Takarazuka apartment collapse of. Tomoko and sister of Moe (Moe) Mr. = same (6) = but died, Chiyoda-san was 4 years old at the time was entrusted to the city's gymnasium became a shelter with his brother brother and twin.

Embrace the Chiyoda's called can not understand the death of my mother and sister "momma", it was me become a playmate is dispatched to shelter as a nurse at the time the City Hospital, NPO corporation "Hanshin elderly and after it was Kuroda, who launched the disability support network ".

After 11 days from the earthquake, Chiyoda-san and brother and brother, was taken up to Satoko's parents who live in Nagasaki Prefecture. Then, "I want to get a job to help people who are in trouble", and go to nursing school in Kobe city, and was reunited with Kuroda-san. Kuroda's nice to be remembered Chiyoda-san, and reveal that it is aimed at registered nurse, has been taught the attitude that "think what you invisible."

Heisei pass to national qualifications of nurses in 24 years March. Married conidia was met in a professional school (Seiko) Mr. and (29), the eldest son of YoNoboru (Hinato) chan born last May. And I think to have the home's size to the presence of the deceased mother. And "Do mother is really amazing that me brought up the four siblings while working, and you realize"

Last year in September, Kuroda-san died, I was at a sadness. "I met again directly, and Thank you to convey wanted" clog the words and.

On this day, touched on three of the name of the nameplate, and spoke as "I want to a lot of also conveyed to his son that it was supported by the people. By next year the year after also come to see the family."
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阪神大震災20年 「赤ちゃん生まれたよ」大切な人に報告

阪神大震災で母と姉を亡くした岡山県倉敷市の看護師、千代田健志さん(24)が17日朝、東遊園地を訪れた。祈りをささげた「慰霊と復興のモニュメント」の銘板には2人に加え、被災直後に母に代わって守ってくれた黒田裕子さん=昨年9月に73歳で死去=の名前も新たに刻まれた。「子供が生まれたよ。元気に頑張っているから安心してな」。人生の新しい扉を開けたことを大切な3人に報告した。

 母のさと子さん=当時(32)=ときょうだい4人で暮らしていた兵庫県宝塚市のアパートが倒壊。さと子さんと姉の萌(もえ)さん=同(6)=が亡くなったが、当時4歳だった千代田さんは兄と双子の弟とともに避難所となった市内の体育館へ預けられた。

 母と姉の死を理解できず「お母ちゃん」と呼ぶ千代田さんを抱きしめ、遊び相手になってくれたのが当時同市立病院の看護師として避難所に派遣され、後にNPO法人「阪神高齢者・障害者支援ネットワーク」を立ち上げた黒田さんだった。

 震災から11日後、千代田さんは兄と弟と、長崎県に住むさと子さんの両親に引き取られた。その後、「困っている人を助ける仕事に就きたい」と、神戸市内の看護学校に進学、黒田さんと再会した。黒田さんは千代田さんを覚えていたといい、正看護師を目指していると明かすと、「目に見えないものを考えて」と心構えを伝授された。

 平成24年3月に看護師の国家資格に合格。専門学校で知り合った生子(せいこ)さん(29)と結婚し、昨年5月には長男の陽登(ひなと)ちゃんが誕生。家庭を持って思うのは亡き母の存在の大きさだ。「働きながら4人きょうだいを育ててくれた母さんは本当にすごいな、と実感します」

 昨年9月、黒田さんが亡くなり、悲しみに暮れた。「もう一度直接会って、ありがとうございましたと伝えたかった」と言葉を詰まらせる。

 この日、銘板の3人の名前に触れ、「たくさんの人に支えられたことを息子にも伝えていきたい。来年も再来年も家族で会いに来るよ」と語りかけた。
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<阪神大震災20年>各地で追悼と防災 宗派・教団超え法要 長泉寺で30人黙とう--北区 /岡山


阪神大震災から20年となった17日、奪われた6434人の命をしのび、宗派や教団を超えて県内の宗教関係者が祈る人道援助宗教NGOネットワーク(RNN)の法要が北区南方3の真言宗長泉寺で営まれた。

 RNNは1996年11月に発足。現在は12の宗派・教団に所属する有志が集まる。慰霊や世界平和を祈る会などを実施し、東日本大震災では救援活動の支援や慰霊祭を開くなどしてきた。

 阪神大震災が発生した午前5時46分52秒。長泉寺の釣り鐘が「ゴーン」と響き、真言宗、天台宗、黒住教、立正佼成会の宗教者と一般参列者ら約30人が寺の本尊の前で約1分間の黙とうをささげた。

 RNN委員長で天台宗本性院の永宗幸信(こうしん)住職は、昨年9月の御嶽山の噴火や昨年8月にあった広島市での土砂災害に触れ、「日々の普通の生活が、いかにありがたいことか、自覚を持ち、祈りをささげよう」と追悼の言葉を述べた。長泉寺の名誉住職の宮本光研(こうけん)初代RNN委員長が法要の趣旨を本尊に奉唱すると、参列者は焼香をした。

 震災当時、岡山市内で新聞配達中だったという北区津島福居の無職、橋本省吾さん(70)は「私たちは自然災害が多い国に生きている。亡くなった人の思いを無駄にしないよう、祈りをささげて思いをはせたかった」と手を合わせた。
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阪神・淡路大震災20年 「1.17」(戦後70年)
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<阪神大震災20年>竹灯籠にともに祈る 東北でも体験継承を 神戸の東遊園地でつどい /岡山

阪神大震災の発生から20年を迎えた今月17日。犠牲者の名を刻んだ銘板などがある神戸市中央区の東遊園地には10万人以上が訪れ、「1・17」の形に並べた竹灯籠(たけどうろう)を見つめてそれぞれの大切な人のため祈りをささげた。東遊園地は、市などが催す「阪神淡路大震災1・17のつどい」の会場。遺族や被災者、ボランティアらが未明から訪れ、竹灯籠にろうそくで火をともした。

 17日の午前4時半ごろから、私は東遊園地で取材した。すると、「1月17日に東遊園地に来るのは初めて」との声が目立ち、「自宅アパートから火が出た」「近所で5人死亡した」などの体験を語った。震災発生時刻の午前5時46分を前に話し声も音も消え、全員が暗闇に浮かぶ竹灯籠の明かりに向けて黙とうをささげた。

 大阪府和泉市の会社員、大鳥居慎司さん(56)は震災で、パイプオルガン奏者の妻裕美子さん(当時32歳)を亡くした。この日を東遊園地で過ごすのは初めてで、長女の真美さん(22)、裕美子さんの姉の横田弘子さん=名古屋市=と共に20年を思い返した。

 震災では神戸市東灘区の自宅が倒壊。大阪府和泉市に移った。当初は近くで被災した義父が同居し、「家事が不慣れな男2人で右往左往しながら子ども2人を育てました」と振り返る。

 真美さんは、友達に震災体験を話せなかった。「みんな自分には関係ないという雰囲気だった。遺児、と特別扱いもされたくなかった」ためだ。震災遺児子のケア施設「レインボーハウス」(神戸市)で他の遺児と気持ちを話したり、大学生ボランティアと遊ぶ時間が支えになったという。

 現在、真美さんは観光牧場に勤務。午前5時46分、「成人して好きな仕事に就き、前に向かっているよ」と裕美子さんに語りかけた。

 夜が明けても、東遊園地に人は絶えない。犠牲者の名前を刻んだ銘板がある「慰霊と復興のモニュメント」には長い列ができた。自身の順番が来ると、家族や友人の名前を何度もなで、そっと呼びかける人々の姿があった。

 東遊園地の一角には、東日本大震災犠牲者への竹灯籠も置かれた。1本ずつ被災地の地名が書かれ、震災発生時刻の午後2時46分までに東北から訪れた人らが火をともした。

 岩手県陸前高田市広田町の行政区長、藤原直美さん(71)と妻紀久子さん(74)はこの日、2011年以降の支援活動で知り合った神戸市北区のNPO法人理事、田中雄樹さん(27)と発生時刻を迎えた。藤原さんと田中さんは、陸前高田と東遊園地それぞれに建つ、震災犠牲者を悼むガス灯「1・17希望の灯(あか)り」の運営メンバー。家族・地域ぐるみの交流が広がり、藤原さんは今回も田中さん方に泊まり、復興への思いを語り合った。

 発生時刻後、全国から集まった若者が神戸の復興を願い歌い継がれる曲「幸せ運べるように」を合唱。一緒に口ずさむ田中さんを見て、藤原さんは「震災20年を生き抜いた神戸の若者は、陸前高田の子どもの将来と重なる」という。「神戸のように、陸前高田でも震災体験が受け継がれて復興してほしい」。そう願っている。
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