創業約70年を迎えるJR岡山駅前の美容室が31日、閉店する。美容師の宮脇愛子さん(76)、京子さん(73)姉妹の母が岡山空襲翌年の1946年に開業し、長年、愛されてきたが、姉妹は「現役で仕事ができるうちにやめよう」と決めた。家族3代で通ったお客らもおり、「人生の節目ごとにきれいにしてもらい、思い出が詰まった場所」と名残惜しんでいる。
北区本町のビル2階で営業する「シスター美容室」。県美容生活衛生同業組合(北区)に1950年代半ばよりも前の記録はないが、姉妹やお客らは「岡山で営業を続ける中では最も古い美容室ではないか」と話す。
姉妹によると、母の住恵さん(2011年に95歳で死去)は15歳で岡山を出て兵庫県尼崎市の美容室に就職した。娘2人が生まれた後の1945年、同市は空襲に遭った。父は外出し、妊娠していた住恵さんが姉妹の手を握り、焼夷(しょうい)弾が投下される中、死体を越えながら逃げた。愛子さんは「私たちを守った、母の力強さが忘れられません」と振り返る。
住恵さんは姉妹を連れて岡山の実家に戻った。その後、尼崎への通勤電車の窓から見えた「シスター」と描かれた看板にひかれ、「独立したらこの店名にしよう」と決めたという。住恵さんは1946年、北区奉還町でシスター美容室を開業した。岡山も空襲に遭い、空き地だらけの街でのスタートだったが、「パーマや、こてを使ったセットなどが上手」と評判になり、駅前に移転後もにぎわった。
姉妹で先に美容師を目指したのは京子さん。住恵さんの美容の技量だけでなく、仕事も家事も全力でこなす生き方にあこがれた。
京子さんは高校卒業後、大阪や東京などの美容室で修業した。「仕事は見て覚えろ」という時代。そこで、美容コンクール出場を理由に、先輩から技を学び、技術を磨き、兵庫県宝塚市で開業した。
愛子さんは上京し、英文タイプ事務などで働いたが、住恵さんを支えようと32歳で帰郷。美容専門学校を経てシスター美容室に入った。住恵さんについて、愛子さんは「優しく基礎から教えてくれた」と懐かしむ。髪を洗う時の指先の力、かゆくなりやすい場所……。お客さんに喜んでもらうための丁寧な仕事ぶりを学んだ。
京子さんも、愛子さんが帰郷して間もなく合流。姉妹で母を支え、店名「シスター」の通りの美容室になり、岡山市内で最大4店舗を営んだ。姉妹は「2人で助け合い、喜びも苦しみも分かち合ってきた」と振り返る。閉店を決めたのは1年前。「仕事をしっかりとできる良い時期のうちにやめよう」と決め、今年2月、お客に伝えた。
美容室にはその後、閉店を惜しむお客が押し寄せた。「母も通った」という東区中川町の女性(43)は結婚式の装いも同店。夫や子どもも通ったといい、「いつもきれいに変身させてくれた。心がしんどい時はアドバイスをもらった」と語る。
同店の休みは週1回で、お客の要望があれば時間外も営業。姉妹は忙しい年月を過ごしてきた。31日の閉店後、愛子さんは「ウオーキングをしたり、体を動かす時間ができたら」。京子さんは「人生の締めくくりに、自分のために生きてみたい」と話す。「病気などの人の髪に携わるボランティア」も考えており、これからも姉妹で夢を追いかけていく。